太白(タイハク)/ Prunus lannesiana ‘Taihaku’
直径5センチにもなる美しい大きな白い花を咲かせる桜・太白(タイハク)。栽培品種のサトザクラ。大きな花が満開になるとその姿は圧巻です。 花期は4月中旬。ソメイヨシノより少し遅め(東京基準)。 花の大きさは最大級だそう!
上の2枚は安行の太白。下の2枚は三島の太白。
この桜・太白にはストーリーがあります。
英国の桜研究家イングラムの庭園にあった桜で、1930年に彼が来日した時に船津静作所蔵の桜の絵をみて自庭にある桜と同じものであると認めました。当時、この桜は日本では無くなってしまったと思われていました。1932年に京都の香山益彦の所望によりイングラムから接ぎ穂が送られてきました。これを育成したものが元公爵 鷹司信輔により太白と命名されました。駒繋(コマツナギ)や車駐(クルマドメ)と同じ品種であるとする説もあります。
日本花の会・太白
上記”日本花の会”のサイトにもあるように、この桜は、日本では昭和2年に絶滅してしまい、その後イギリスから桜の研究家コリングウッド・イングラム氏が日本に送った接ぎ穂が根付いて開花したものだそうです。
イギリスでもじつは、桜の歴史は長い。ヨーロッパ原産の「ブラックソーン」は、田舎でよく見られる桜で、初秋に小さな青い実(スロー)をつける。低木で丈夫なので、昔から生垣などに利用され、実はジュースにしたりジンに入れたりして飲用されてきた。次に、ローマ人が紀元前後にイギリスに持ち込んだといわれる、食用の赤い実をつける「サクランボ」の木。人々はサクランボをデザートやジャムに広く利用するようになり、この桜はイギリス人の暮らしに深く根づいた。チェリー・プラムもこの種類である。
そして、ビクトリア女王時代の19世紀後半に、日本から観賞用の桜がやってくる。大英帝国の最盛期、世界各地からいろいろなものがイギリスに持ち込まれた勢いにのって、「サクラ」も海を渡ったのである。20世紀に入ると、ロンドンの東にあるケント州の植物収集家、コリングウッド・イングラムは3度日本へ足を運び、多くの桜を持ち帰った。イングラムは日本の桜とヨーロッパ原産の桜を交配させて多くの新種を作り、またたく間に桜の権威となって「サクラ男」と呼ばれた。
200年余の鎖国を終えて世界に姿を現した極東の日本から、浮世絵や陶器、根付けなどとともに、美しい桜がはじめてヨーロッパに紹介されると、「日本ブーム」が起きた。イギリスに来た桜は、「アサノ」、「ヒサクラ」などと日本の名前がつけられ、愛好家のあいだで熱狂的に受け入れられた。こうして「ジャパニーズ・チェリー」は各地に植えられるようになり、イギリス人の暮らしに馴染みのある木となっていった。
出典 ちきゅう座 あべ菜穂子さんエッセイより
国民投票でイギリスのEU離脱派が勝利したばかりのこの時期に、イギリスと日本の桜のストーリー。
それでも、花は、桜はいつでも美しく咲くのです。