飴玉桜(アメダマザクラ) Cerasus × amedama H.Ohba
雨の東京で、飴玉桜(アメダマザクラ)に会いました。
白くて4月中旬~下旬に咲くさくらです。バラ科サクラ属の落葉小高木・花弁は5枚。マメザクラにヤマザクラ、オオシマザクラが交雑して誕生したものとされていて、マメザクラのように下向きに花を付けます。名の由来は不明ですが、つぼみの形が飴玉に見えることからだと推測されます。でも、”雨玉桜”との表記がされている場合もあります。中心部と周辺の花弁の色のコントラストが美しい桜です。
この飴玉桜(アメダマザクラ) は、神奈川県真鶴半島に自生していて、神奈川県真鶴半島で川崎哲也氏が発見されたそうです。
川崎哲也氏は、牧野富太郎氏に師事し植物図の精密さを追求した牧野氏からその腕を認められた一人。川崎哲也氏は、牧野博士の画工として植物図を提供していますが、桜の研究家としても知られています。自筆による美しく秀逸な桜図を残していて、それらは『サクラ図譜』として出版されています。
「これ見よ、これ見よ」 - 十二日朝、突然ベッドからは半身を起こさんばかりに大音声をはりあげて、周囲の人を驚かせたのは牧野博士 - さし上げた手には、一枚のきれいな写生図があった。
出版するぞオ!!」 - その目はもう十日間ほとんど何も食べずに九十四歳の老体を支えてきたとは思えないほど輝いていた。
昭和三十一年七月一三日 読売新聞 夕刊より
そのきれいなヤマモモの写生図を描いたのが、桜研究の第一人者川崎哲也氏です。そして、そのヤマモモの写生図は『牧野 新日本植物図鑑』の巻頭ページ一面を飾りました。
桜研究の第一人者川崎哲也氏は、1929年名古屋生れ。宇都宮農林専門学校(現宇都宮大学農学部)卒業の後、教職(中学校教諭)につき、学生の指導にあたりながら吹奏楽部指導教官を長く務められ、そのかたわらで、牧野富太郎、サクラ品種収集家佐野藤右衛門の教えを受け、生涯を教職とサクラの研究に捧げ、サクラ栽培品種の鑑定家としても活躍していたそうです。2002年他界されています。
桜に会い、その桜を知るたびに、桜を愛し世に広めた人たちの事を考えます。