花画像による私的さくらの花図鑑。

桜・早晩山(イツカヤマ)と荒川堤の桜再び

早晩山(イツカヤマ)

早晩山(イツカヤマ)

早晩山(イツカヤマ)

早晩山(イツカヤマ) / Cerasus serrulata ‘Sobanzakura’

呼ばれ方はイツカヤマが一般的ですが、学名である”早晩桜(ソウバンザクラ)”とも呼ばれます。とても美しく気品を感じる桜です。花は淡紅色を帯びた白色。花弁は8~15枚の八重咲き大輪で花弁の先は2つに裂けて先が尖っています。樹形は盃状で横に広がらず上に伸び高木になります。開花時期はソメイヨシノが散った後の4月中旬。特徴は、花が終わりに近くなると花の中心から外側にかけて赤い線が現れる事。これを化粧咲きと呼ぶそうです。

明治時代の桜の名所、そして桜の壮大なドラマがある東京の荒川堤から全国に広まったサトザクラ(栽培品種)です。

早晩山(イツカヤマ)

はじめてこの桜に出会った時は、あまりにきれいでしばらくその場を動けなかったのを覚えています。白い花びらと赤い線がピンクに見える感じのコントラストとバランスも素敵。

荒川提の桜のお話

早晩山(イツカヤマ)

桜の事を調べると、時々”荒川提の桜”という記述を見つける事があるかと思います。以前、桜・白妙(シロタエ これも荒川提の桜)の時にも少しお話をアップしました。

早晩山(イツカヤマ)

早晩山(イツカヤマ)も、荒川提から全国に広まった桜。
現在の足立区の荒川の土手の桜のお話です。

明治維新の頃。ソメイヨシノの人気が高まりだした陰で、多くのサトザクラが植えられていた、江戸の武家屋敷や寺社仏閣、大名屋敷の庭園などが荒廃。桜が大量に伐採され薪などにされた時代がありました。この時に、多くのサトザクラを救ったのが、駒込の植木職人・高木孫右衛門氏。彼は自宅の畑にサトザクラ84種を育てることに成功し、楊貴妃(ようきひ)や御衣黄(ぎょいこう)といった貴重な品種が、この畑で生き長らえたそうです。

その桜たちを日本国中にそしてワシントンにまで広めたのが「荒川提の桜」。明治19年(1886年)3月。当時の足立区江北村長・清水謙吾氏の主導で、78品種3000本~の桜を荒川堤上の約6㎞に植えたのが始まりだそうです。その桜は、ソメイヨシノではなく、高木孫右衛門が栽培した逸品のサトザクラの数々。荒川堤は、それまで庶民の目には触れなかった全国のサクラ優良品種が居ながらにして楽しめる、稀有な場所となったのです。その色とりどりの桜は「五色桜」と呼ばれるようになりました。

その後、その桜たちは、小石川植物園や新宿御苑等の他、ワシントンDCへ贈られました。これが有名なポストマック湖畔とホワイトハウスに植えられた桜です。

しかし、第二次世界大戦中ことごとく薪にされてしまったり、絶滅の危機に直面します。その危機を救ったのがワシントンに贈られた桜でした。「里帰り桜」。しかし、この桜も堤防工事や自動車排気ガス・公害で絶滅。1981年には再び足立区役所が「五色桜」を復活させるためと、ポトマック公園の桜の接ぎ木35種3000本の里帰りを実現。それが、現在の「荒川提の桜」だそうです。

この話を聞いた時、この壮大なドラマに胸が熱くなりました。

参考資料: 千住物語五色桜ものがたり